≪大学の沿革≫
関西大学は、明治19年に関西法律学校として児島惟謙らによって創立された。
その後、明治38年に私立関西大学と改称して、大正11年に大学令により大学へと昇格した。
平成22年度には2学部増え、13学部を擁する総合大学として発展し続けている。
平成28年には、創立130周年を迎えた。悠久の歴史を持つ関西大学は更なる飛躍を遂げる。
≪野球部の歩み≫
大正4年に創部された野球部は、昭和7年に東京六大学の明治、立教、慶応、法政を破り、大学日本一の座につくなど、早くも強豪としてその名を全国に響かせた。
また、全日本大学野球選手権大会でも、昭和31年の優勝をはじめ、昭和47年には、春・秋季リーグ戦の連覇に加え、全日本大学野球選手権大会、明治神宮野球大会で全国制覇を果たし、大学野球史上初のグランドスラムを達成した。
そして平成26年秋、創部100年を前に、39季ぶり34回目のリーグ優勝、42年ぶりの明治神宮野球大会出場を果たした。
さらに2019年の秋季リーグ戦では優勝を果たし、さらに明治神宮野球大会では準優勝を収めた。
KWANSAI 栄光の歴史
大正 4年(1915) | 野球部創部 |
〃 | 奈良・春日倶楽部と対抗試合を行い初勝利 |
12年(1923) | 関大、同志社、関西学院(高等部)の「3校リーグ戦」を開始 |
15年(1926) | 朝鮮遠征を行う(9勝3敗1分) |
昭和 4年(1929) | 関大、同志社、京大で「関西3大学野球連盟」を組織し3大学リーグ戦を開始 |
〃 | 満州(中国東北地区)に遠征 |
5年(1930) | アメリカ遠征を行う(6勝4敗) |
6年(1931) | 関西六大学野球連盟を結成し、リーグ戦を開始 |
〃 | 千里山野球部(学部・予科で編成)と天六野球部(専門部)が大同団結 |
7年(1932) | 関西六大学リーグで初優勝 |
〃 | 朝鮮に2回目の遠征(6勝1敗) |
〃 | 来日中のミシガン大に6-1で勝利 |
8年(1933) | ハワイ遠征を行う(9勝4敗) |
9年(1934) | 関西六大学野球連盟を脱退 |
〃 | 満州(中国東北地区)に2回目の遠征(4勝3敗) |
10年(1935) | 関西六大学野球連盟へ復帰 |
〃 | 朝鮮に3回目の遠征(4勝1敗) |
11年(1936) | ハワイに2回目の遠征(20勝2敗) |
21年(1946) | 関西六大学リーグが復活 |
24年(1949) | 関西六大学リーグで戦後初優勝(13回目) |
31年(1956) | 第5回全国日本大学野球選手権大会で初優勝 |
36年(1961) | 第10回全国日本大学野球選手権大会で準優勝 |
37年(1962) | 関西六大学野球連盟が近畿、阪神、京滋各野球連盟と合体。関西大学野球連合が発足する。これにより、入替戦制度ができる |
45年(1970) | 第19回全日本大学野球選手権大会で準優勝 |
47年(1972) | 第21回全日本大学野球選手権大会で優勝(2回目) |
〃 | 第3回明治神宮野球大会で初優勝。関西六大学リーグでの春・秋優勝を含めて、大学球界初のグランドスラムを達成 |
〃 | 日米大学野球大会始まる |
56年(1981) | 関西六大学リーグで優勝決定戦に臨むも、延長17回で惜敗 |
57年(1982) | 関大、関学、近大、京大、同志社、立命の6大学で関西学生野球連盟を発足 |
平成 3年(1991) | 関西学生リーグで19年ぶりの優勝(32回目) |
〃 | 第40回全日本大学野球選手権大会で準優勝 |
7年(1995) | 関西学生リーグで優勝(33回目) |
26年(2014) | 創部100周年を迎える |
〃 | 関西学生リーグで優勝(34回目) |
〃 | 関西地区代表決定戦で優勝、関西地区第一代表として明治神宮大会出場を決める |
〃 | 第45回明治神宮野球大会に42年ぶりに出場(4回目) | 28年(2016) | 第47回明治神宮野球大会に出場(5回目) | 29年(2017) | 関西学生リーグで完全優勝を達成(36回目) |
〃 | 第48回明治神宮野球大会に出場(6回目) | 令和 元年(2019) | 関西学生リーグで完全優勝を達成(37回目) |
〃 | 第50回記念明治神宮野球大会で準優勝 |
令和 3年(2021) | 関西学生リーグで優勝(38回目) |
令和 4年(2022) | 関西学生リーグで優勝(39回目) |
令和 5年(2023) | 関西学生リーグで優勝(40回目) |